watasi ga kagayaku

44歳 時々パート主婦です。夫と息子3人暮らし。

1/17 パンツルック

★トップス…古着カーディガン
★パンツ…fill the billサロペット


息子との会話は
自分はどう考えているのか確認する機会。


「かちって何?」と息子に問われて
分かりやすいものはお金かと思った私は


「このリンゴ、君、いくらでなら買う?」
「110円かな」
「なるほど。いいね!では、この洋服は?」
「1000円?くらいかな?」
「いいじゃん!では、犬のらんちゃんは?」
「えー!8000円?かな」←彼の手持ちの全財産
「そういうこと!全部に違う金額つけたじゃん?自然に。それは君がそれぞれに、価値をつけたってことよ。わかる?」
「うん」


こんな会話をした。
もっと進んで犬のらんちゃんは誰かが8000円出しても売らないよね〜という話しまで発展してもいいかと思ったけど
ひとまず終了。


妥当な値段をいまいちわかっていない小学1年生も聞いてみたら、自分基準でモノに値段をつけられることが分かった出来事。


服はだいたい1万円出せば1枚買えると思っていた自分。
それは、そのものの価値を見ていたのではなくて、
服は1万円くらいなら出していいと言う自分の価値観。


でも、服を買わないと意識すると
ホントにこの服1万円の価値?と見るようになった。
新しい服、自分にとって価値を感じる服。
それってなかなかないよな。
服は自分のテンションをあげてくれるもの。
身体が隠せるならなんでもいいよ。こういう価値観ではない。


「かちってなあに?」
息子のこの質問。
シンプルに言葉の意味を問われたわけだけど
深い〜と思ってしまった。



話しに出てきたリンゴは焼きリンゴにし
「ね、お母さんを買うなら?」と聞いたら
「200円」と真顔で答えた息子と美味しく頂いた🍎